2021.03.19
アパートの一室から起業、ファーストロジック創業秘話
当社の代表である坂口直大は、創業社長です。東証一部上場企業の中で、創業社長というのはそう多くありません。
そして当社の採用選考では最終選考に「社長面接」があり、創業社長と話せる貴重な機会が設けられています。しかし、面接という短い時間では聞ききれないこともあると思います。そこで、よく質問をされる「どうしてファーストロジックを設立したのか?」について、本ブログで説明します!
「リストラされても生きていけるようになりたい」
坂口は大学を卒業し、新卒でシステムエンジニアの会社に入社しました。残業が多く過酷な日々でしたが、立派なエンジニアになるため日夜必死に勉強をしていました。
しかし、ある日上司から「SE35歳定年説」という話を聞きます。IT業界は技術の移り変わりが激しく、35歳になると知識的にも体力的にもついていけなくなり定年を迎える、という説です。これを上司から聞いた坂口は「35歳でホームレスになる可能性もあるのか」と将来に不安を抱くようになります。
そんなとき、坂口の人生にもう一つ大きな衝撃を与える出来事がありました。23歳という若さで、肺がんの可能性があると診断されてしまったのです。
「人生は長い」とは限らない
会社の健康診断で「肺に影が映っている」と言われ大学病院に精密検査に行くと、医者から「肺がんの可能性が高い」と診断されました。4年制大学を出て、就職氷河期の中やっとの思いで就職をして、エンジニアになって会社に貢献しようと意気込んでいた、そんな矢先です。
少し前まで「35歳になったらどう生きていこう」と、35歳まで生きていることを当たり前のように考えていた自分がスッといなくなりました。
それからは「どうやって生きていこうか」を考えるようになりました。そして辿り着いたのは「どうせ死ぬのなら、社会の役に立ってから死にたい」という考えでした。
実はこのとき坂口には、社会問題ともいえる解決したい課題があったのです。
あらゆる人が安心して不動産投資ができる世界を
坂口は「SE35歳定年説」を聞いた後、いつリストラされてもいいように安定収入を手に入れたいと考え、「不動産投資」をしようと動いていました。大学時代に1人暮らしをしていたころ、毎月大家さんに家賃5万円を振り込んでいました。そのときは支払う立場でしたが、もらう立場の大家さんになれれば収入が途絶えることはないと考えました。
しかし、東京中の不動産会社を回っても、まったく相手にされません。それもそのはず、当時不動産投資をするのは地主などの富裕層がメインで、坂口のような若いサラリーマンは不動産会社に相手にされなかったのです。
そのような状況だからか、インターネットにも雑誌にも、投資用の不動産情報は全くありません。この現状を知った坂口は「自分のように将来に不安を抱くサラリーマンを助けたい」と思うようになります。
そして「この課題解決を残りの人生の使命にしよう」と思い、起業を決意します。
当時は「ドットコムバブル」と呼ばれる、インターネット関連企業がどんどんと立ち上がっていた時期。みんなが知っているような「楽天」「サイバーエージェント」などの企業が生まれたのもこの時です。 坂口も「このアナログで情報の非対称性がある業界をインターネットで解消すればビジネスチャンスになるのでは?」と思いました。
しかし、この波に乗りたいと思う一方、銀行員である父親からは「融資先の経営者には、経営がうまくいかずに自殺に追い込まれている人が何人もいる」ということも聞いていました。「安定した収入を求めて不動産投資を始めようとしたのに、起業という険しい道を選んでよいものか」と悩んでいる時、ある言葉に出会います。
「死の床で人生を振り返ったとき、後悔することが最も少なくなるように生きようと決めた」
世界的企業、Amazonの共同創設者であるジェフ・ ベゾスの言葉です。死ぬ前に人生を振り返るとき、後悔することがないように生きよう、ということです。坂口は、起業することを諦めたら後悔するだろうと思いました。そして「うまくいかなかったら死ぬ覚悟でやろう」と起業を決意します。これが2005年8月のことです。
そして坂口は、投資用不動産の購入費用として貯金した1000万円を元手に「株式会社ファーストロジック」を設立。当時の社員は坂口ひとり、自宅アパートの一室でスタートしました。
2006年3月には、今や国内No.1の不動産投資ポータルサイトとなった「楽待(らくまち)」をリリース。不動産会社と不動産投資家がマッチングできるというシステムは当時画期的であり、「楽待」は多くのメディアに取り上げられました。そして坂口は社長業、開発、営業、マーケティングをすべて兼務し、年末年始も休むことなく活動していく日々を送ります。
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ここまでが当社の創業秘話になります、実際にはまだまだ先の話がありますが、それはまた別のブログで紹介いたします。ちなみにですが「肺がん」というのは誤診であり、別の大学病院でもう一度診断してもらうと全く異なる病気でした。その後名医に出会い、1年かけて完治することができたため、今は元気にビジョン達成を目指しています。
このブログを読んで気になることがある人は、ぜひ社長面接の機会に聞いてみてください!